量子コンピュータが、メディアで大きく報じられるようになりました。最近の量子技術の進展はめざましく、はるか遠い未来と思われていた量子コンピュータの実用化が近未来に実現するかもしれません。
シンプレクスは5年前に量子技術の調査・研究を開始、3年前に技術者による全社横断組織「システムディベロップメントコンピテンシー」内に、量子分野に特化して研究開発や人材育成を推進するサブコンピテンシー「量子R&Dチーム」を結成し、量子分野での研究開発を社内外で本格化させました。2年前には国内外の大学・研究機関・企業が参加するサスティナブル量子AI研究拠点(以下SQAI)に参画、今年、その活動の一環として東京大学との共同研究をスタートさせ、同時に同大学大学院「量子ソフトウェア」寄付講座へも協賛を始めました。量子技術の産学連携や社会実装へ向け、量子R&Dチームは鋭意その活動を続けており、将来的な社会問題解決につながる成果も得られ始めています。
今、量子に取り組む狙いは何か?SQAIのプロジェクトリーダーで共同研究の相手でもある東京大学大学院理学系研究科の藤堂眞治教授と、共同研究担当の量子R&Dチームメンバーに、研究の最前線から見た量子コンピュータの現状と、量子技術が拓く可能性を語ってもらいます。
座談会メンバー
- 東京大学大学院
- 理学系研究科 物理学専攻 藤堂 眞治教授
- シンプレクス株式会社
- クロス・フロンティアディビジョン 量子R&Dチーム
- 松竹 龍之輔(シニアフェロー)
- 内田 太一(アソシエイトプリンシパル)
- 倉西 嶺人(アソシエイトプリンシパル)
- 仲渡 莞爾(スタッフ)
「究極の並列コンピュータ」は何を可能にするのか
量子コンピュータについては、「量子超越性」という言葉や既存の暗号が破られるといったイメージが先行する一方で、その実像や社会へのインパクトは、まだ広く理解されているとは言えません。量子コンピュータは、なぜわかりにくいのでしょうか。藤堂教授は「まだ実験レベルだからでしょう。一般の人が動いているところを見る機会はほぼなく、生成AIのように、実際に使って『すごい』と実感できるものがないのです」と話します。

従来のコンピュータは、0か1のどちらか一方の情報を表す「ビット」を組み合わせて計算します。一方、量子コンピュータは「量子ビット」を操作して演算を行います。量子ビットには0と1の情報を同時に持てる「重ね合わせ」という性質があり、たくさんの状態を重ね合わせたまま演算を進められます。藤堂教授はこれを「究極の並列コンピュータ」と表現します。
「この並列性をうまく使えば、非常に速くて大規模な計算ができると考えられています。しかし、途中の状態をコピーして取っておけない、最終状態を測定すると並列のうち一つの状態しか得られない、などの制約もあり、古典コンピュータ*1とは全く違うアルゴリズムが必要です。よくある誤解は、量子コンピュータが古典コンピュータをすべて置き換えるとか、量子コンピュータではあらゆる計算が速くなるといったものですが、そうではなく、量子の強みが生きる領域でこれまでできなかったことを可能にしていくイメージです」(藤堂教授)
「これまでできなかったこと」の一例が、桁の大きな数の素因数分解です。大きな素数同士の掛け算は簡単にできますが、与えられた非常に大きな桁数の整数を二つ以上の素数の掛け算に分解するのは大変困難で、古典コンピュータでは非常に時間がかかる作業です。RSA暗号などはその困難さに安全性を委ねていますが、量子コンピュータなら高速に素因数分解できることが数学的に証明されています。「実行できる規模のハードウェアはまだ存在しませんが、実現すれば世界が変わるような大きなインパクトを与えるのは確かです。今後は別の暗号の方式や、もっと強い暗号なども考えなければなりません」(藤堂教授)
機械学習への応用も研究されています。量子の並列性をデータ処理に生かせれば、ニューラルネットワークなど今の手法を超えた機械学習ができるのではないかと考えられています。現在の生成AIでは、大規模言語モデルの学習に大量の計算資源と電力エネルギーを消費してしまうことが大きな問題になっています。量子機械学習は、より少ない学習データや計算資源で高い予測精度を実現できる可能性を秘めています。
量子シミュレーションも応用先の一つです。「たとえば半導体の中では電子が量子の世界の法則に従って動いています。今はその動きを古典コンピュータの上に翻訳し直して計算していますが、量子の世界はそのまま量子の上でシミュレーションするほうが速くて正確。実現すればデバイス開発や創薬のほか、超伝導体や磁石といった物質の解明にも道が開けます」(藤堂教授)
古典コンピュータ:従来のコンピュータのこと。0と1のどちらか一方の状態だけを持つ従来のビットで計算するコンピュータを、量子コンピュータと区別してこう呼ぶ
信頼できる量子計算が小規模ながら始まった
量子コンピュータの性能を見る上で、重要な指標が二つあります。「量子ビットの数」と、量子ビットに施す演算をどれだけ連ねられるかを示す「量子回路の深さ」です。量子ビットの数は1000個ほどまで来ましたが、深さには課題があり、実用上、安定して計算を行えるレベルには達していません。量子ビットは非常に脆く、外部からのノイズにさらされるとすぐ壊れてしまいます。時間が経つと情報が失われてしまうため、連ねられる演算の数に上限があるのです。
そこで必要になるのが、ノイズから守りながら計算する「量子誤り訂正」です。多数の量子ビットをひとまとめにして一つの「論理量子ビット」として扱えば、一部にエラーが起きても直しながら計算を続けられます。必要な量子ビット数は方式やエラー率によって大きく異なりますが、現在主流の誤り訂正方式では、一つの論理量子ビットを作るために数百から数千程度の量子ビットが必要であると考えられています。
「現状は、ごく少数の論理量子ビットで誤り訂正付き計算が始まった段階です。2030年代の早いうちには、論理量子ビットが数百から数千規模になるかもしれません。ただ、今の量子コンピュータは1カ所にたくさんの量子ビットを埋め込む作りで、たとえば超伝導方式では冷却機の中で冷やしますが、規模が大きくなると一台の冷却機に収まりません。そうなると、限られた量子ビット数の量子コンピュータをたくさん作って並列で動かす方法も考えなければならず、まだまだ課題は多くあります」(藤堂教授)
とはいえ、ノイズの影響を受けにくい量子ビットや新方式のハードウェアが登場し、誤り訂正のアルゴリズムも改良が続いており、「進歩のペースが以前より上がっているのは確か。論理量子ビットが数百から数千に届けば、古典コンピュータでは解けなかった問題のいくつかが実際に解けるようになる」と藤堂教授は見ています。
量子でAIを進化させる。SQAIが挑む五つの研究課題
最近メディアでよく聞く「量子AI」には二つの方向があります。AIを使って誤り訂正など量子コンピューティングを支える技術を進化させる「AI for Quantum」と、量子技術でAIをより高度化する「Quantum for AI」です。藤堂教授がプロジェクトリーダーを務めるSQAIが目指すのは後者です。
「量子を使ってAIを加速させる、より良いものにするということです。生成AIで使われている大規模言語モデルの置き換えではなく、もっと広い意味のAIを考えています」(藤堂教授)
SQAIは2022年秋に始まった10年間のプロジェクトで、東京大学をはじめ、国内外の大学・研究機関や企業が名を連ねています。研究開発課題には「量子機械学習」「量子シミュレーション」「量子埋め込み」「量子最適化」「量子HPC*2」の五つがあり、シンプレクスはこのうち「量子機械学習」のグループに参画しています。
「量子機械学習」は、機械学習の一部を量子回路で実行したり、量子データを扱ったりする取り組みです。「従来の機械学習に比べ、学習データが限られていても比較的良い性能が出せる場合があるとわかってきました。一方で、複雑な機械学習モデルを作ろうとすると学習できなくなることが理論的に知られており、どう回避するかを研究しています。『量子エクストリームリザバーコンピューティング』*3など、いろいろなアイデアが出てきています」(藤堂教授)
藤堂教授自身がリーダーを務める「量子埋め込み」は、量子と古典の間のデータの橋渡しを担う研究です。量子コンピュータの状態を測定すると、量子ビットは0または1として読み出され、重ね合わせ状態の情報は失われてしまいます。「そこで、量子性をできるだけ保ったまま受け渡す方法を研究しています。具体的には、量子機械学習の学習データなどをいかに効率よく量子コンピュータへ埋め込むか、あるいは逆に量子状態をどう古典コンピュータへ取り出すかです。量子状態を完全に調べるにはトモグラフィー*4という膨大な回数の測定が必要になるため、限られた測定から必要な情報をいかにうまく取り出すかを考えています」(藤堂教授)
残る三つの研究課題も着実に進んでいます。「量子シミュレーション」は、スーパーコンピュータで行ってきたような複雑な計算を量子コンピュータの上で行う手法の研究で、対象が原子や分子から、結晶のような大きな物質へと広がってきました。「量子最適化」は、設計パラメータや要素の組合せを少しずつ変えながら試作と測定を繰り返す開発現場のループを、量子の技術で回す研究です。試行パターン数が大きくなってくると、どの組合せが最適な結果を出すかを見つけるのに膨大な時間がかかります。そこで量子コンピューティングを用いて高速に問題を解こうという試みです。元になっているのは、量子コンピュータとは別の流れにある「量子アニーリング*5」という技術ですが、最近は量子の発想だけを借りて古典コンピュータで計算する「量子インスパイアード」と呼ばれる手法もあり、数多くの要素を最適に組み合わせるという実社会の問題で成果が出た例もあります。「量子HPC」では、スーパーコンピュータ「富岳」と理化学研究所にある量子コンピュータの実機を使い、処理を自動で振り分ける仕組みを作るなど、量子コンピュータとスーパーコンピュータを連携するソフトウェアの設計と開発が進んでいます。
SQAIは、プロジェクト期間の約3分の1を終えました。藤堂教授はこれまでを「五つのグループがある程度独立して研究するフェーズ1」だと整理し、「ここからは量子機械学習と量子シミュレーション、量子シミュレーションと量子最適化など、課題の間をつなぐ段階に入ります」と見通しを示します。
量子HPC:HPCとはハイパフォーマンスコンピューティング(高性能計算)の略。古典コンピュータ、とくにスーパーコンピュータやGPUクラスターと量子コンピュータを組み合わせて計算する仕組み
量子エクストリームリザバーコンピューティング:量子リザバーと呼ばれる高次元の量子回路(隠れ層)で量子計算を通じてデータの特徴を取り出し、そこからの最終出力層のみを古典コンピュータで効率的に学習する機械学習の手法
トモグラフィー:量子状態の中身を知るために、測定を繰り返して統計的に状態を割り出す手法
量子アニーリング:組合せ最適化問題を、量子系のエネルギーの最小値を求める問題に変換して解く、最適化問題に特化した量子計算技術。汎用の計算を目指す量子コンピュータ(量子ゲート方式)とは別の方式
シンプレクスが今、量子に取り組む理由
シンプレクスは2026年4月から、東京大学大学院理学系研究科の「量子ソフトウェア」寄付講座に協賛しています。藤堂教授が2021年から主宰し、ハードウェアではなくアルゴリズムとソフトウェアに重きを置く講座で、講義やワークショップのほか、シミュレータで実際にプログラムを動かすハンズオンも行っています。
「量子コンピュータの計算では、古典コンピュータとは全く違う考え方をするので、量子コンピュータの特性に合った新しいアルゴリズムを考えるための教育が欠かせません。主に大学院生、そして社会人も含めて教育の場を作ろうというのが講座の目的です」(藤堂教授)
SQAIに参画し、寄付講座へ協賛する理由を、「シンプレクスの業務に量子技術を生かせる可能性が十分にあると考えているからです」と話すのは、シンプレクスの量子R&Dチーム発起人の一人、松竹 龍之輔(以下、松竹)です。「シンプレクスでは以前から量子技術の基礎的な調査を続けてきました。その中で、最先端の情報共有や議論は産学が参加する量子コミュニティの中で活発に行われていると知り、まずは調査してきた量子機械学習と親和性のあるSQAIに参画、のちに寄付講座への協賛も決めました。アカデミアの先端的な研究を実際の産業へ広げるには産学の交流が欠かせませんし、量子由来のアルゴリズムが古典コンピュータ上でも役立つなら、私たちも、新しいアルゴリズムの実務への応用や実装でコミュニティに貢献したいという思いがありました」(松竹)

同プロジェクトメンバーの内田 太一(以下、内田)が、取り組む背景の一つに挙げるのは、金融と量子の距離の近さです。「シンプレクスの祖業である金融は、膨大な計算に支えられてきた分野です。計算の一部は、量子コンピュータで速くなることがすでにわかっており、シンプレクスが取り組まない理由はありません」と言い切ります。
「なぜ今なのか」について、内田はこう続けます。「古典コンピュータなら、ビットがどう動いているかを知らなくても大半の人が使えますが、現在の量子コンピュータを使うにはどう作られているかの知識が必要です。学ぶべきことが膨大にある上に、実現の予想も早まる一方です。実現してから慌てても間に合いません」(内田)
シンプレクスの取り組みは約5年前、数人の有志による調査から始まりました。以来、金融、量子機械学習の2分野を軸に研究を続けています。一つ目の金融は、最初に目指した分野です。クラウド上で提供されている量子コンピュータの実機を用いて、金融派生商品の価格付けの実証実験などを行いましたが、必要な量子ビット数に対して当時のハードウェアがまだ小さく、本格的な検証はハードウェアの進歩を待つことにしました。

「そこで着目したのが、二つ目の量子機械学習です。少ないビット数でも試せることに加え、社内に機械学習をビジネスに使うユースケースがあったため、実際の金融データで検証を重ねてきました。金融データに特徴的なパラメータの多さを考慮すると、比較的少ないデータでも学習がうまくいく可能性を示唆する結果は得られましたが、なぜその結果が得られたのかを解明することは簡単ではありません。今後も検証を続けていきます」(内田)
また、新たな領域への挑戦も進めています。web3への応用です。「この領域への量子技術の応用は世界的にもまだまだ未知数ですが、シンプレクスはweb3に広く知見を有しており、深耕する価値があるものと考えています。直近では、web3への応用をテーマに、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の懸賞金活用型プログラム『量子コンピュータを用いた社会問題ソリューション開発』に応募し、課題解決案が一次スクリーニングにおいて採択されました。テーマはweb3で必要になるブロックチェーン上の最適化問題で、量子最適化の適用や、最新の量子アルゴリズムの検証を行いました。」(内田)
これらをいわば「攻め」の量子技術研究だとすると、「守り」の量子技術研究も必要になります。既存の暗号が量子コンピュータの発展により安全性を失う危殆化の問題も、金融機関の機密情報を扱うシステムを数多く預かるシンプレクスにとっては、いち早く対応すべき課題です。「既存の暗号を解読可能な量子コンピュータの登場はまだ時間がかかると言われていますが、HNDL攻撃*6と呼ばれるサイバー攻撃は現時点でも始まっている可能性があリ、システムを早期に保護するため耐量子暗号*7への移行が世界的に急がれています。耐量子暗号の実現自体は量子技術ではありませんが、量子時代のシステムを作るためには必須のものです。シンプレクスでも社内チームによる対応が進んでいます」(内田)
HNDL攻撃:Harvest Now, Decrypt Later(いま収穫、あとで解読)攻撃の略。既存暗号を解読可能な量子コンピュータが登場するまでは、暗号化されたデータを盗み出してそのまま保持・蓄積しておき、既存暗号が解読可能になったらそれらの情報をまとめて解読する攻撃を指す。蓄積し時間が経っても価値のある情報に対しては警戒しなければならない攻撃
耐量子暗号:量子コンピュータが実現しても安全とされる古典コンピュータ上の暗号方式。NIST(米国立標準技術研究所)によりアルゴリズムが策定されている
量子技術で金融計算の高速化を目指す共同研究が始動
東京大学とシンプレクスの共同研究も始まっています。テーマは、量子インスパイアード技術の一つ、テンソルネットワーク*8の金融計算への応用です。SQAIで研究開発しているソフトウェアやアルゴリズムは、究極的には誤り訂正付きの量子コンピュータで動かすことを目指しています。ただ、量子コンピュータ用に考えたアルゴリズムのアイデアが、古典コンピュータでも使えるケースは少なくありません。この共同研究もその一つだと、藤堂教授は説明します。
「今回の共同研究では量子コンピュータを全く使っていません。しかし、そこで使っているのは量子埋め込みで使おうとしているのと同じデータ構造です。これを生かせば、従来の計算をより効率化できるのではないかと考えています。実機が動くようになるまで、待つ必要はないのです」(藤堂教授)
対象とするのは、金融の実務で広く使われるモンテカルロシミュレーション*9です。さまざまな金融商品を一つの枠組みで包括的に評価できる汎用的な手法ですが、扱うパラメータが増えると計算量が急増することが長年の課題でした。量子アルゴリズム「量子振幅推定*10」なら計算量を劇的に減らせることがわかっていますが、実行には大規模な誤り訂正付き量子コンピュータが必要で、実用化はまだ先です。そこで共同研究では、古典コンピュータで実行できる量子インスパイアード技術に着目しました。担当する倉西 嶺人(以下、倉西)が説明します。
「この研究では、複雑なデリバティブの価格関数をテンソルトレインというデータ構造で表現することで、従来のモンテカルロシミュレーションよりも効率的な計算を可能とすることを目指しています。テンソルトレインはテンソルネットワークの一種であり、量子多体系や量子情報の研究で発展してきた多次元の複雑なデータを、より小さな部品の組合せとして効率よく近似する手法です。テンソルネットワークを金融の価格計算に使うアイデアは提案され始めていますが、実務で実際に活用できるかどうかは、まだ十分に明らかになっていません。そこで、実務上の課題を私たちから提示し、大学から理論的なコメントや新たなアイデアをいただきながら、その実用性について共同で研究を進めています。実務と理論の両面から課題にアプローチできる、非常に有意義な研究活動だと感じています」(倉西)

効果を見込む計算の一つが、取引相手の信用リスクを金融商品の価値に反映するCVA(信用評価調整)です。計算の性質上、市場の動きと商品の価値の二重のモンテカルロシミュレーションによる計算が必要となり、計算量が非常に大きくなります。「計算時間を短縮できれば、これまで時間的な制約から十分に行えなかった高度な価格調整も可能になります。また、金融の実務には計算負荷の高い業務が多いため、価格調整をはじめとする幅広い場面でこの技術を活かせることを期待しています」(倉西)
大学側から見ても、共同研究の意義は大きいと藤堂教授は話します。「新しい手法が動くようになったとき、その価値や、どのような条件で効果を発揮するのかを見極められるのは、やはり実際の業務を持つ企業です。ただ企業に検証してもらうだけでは一方通行です。大事なのはその先で、新しい手法で金融の計算を見直すと、これまで原理的に計算できなかったことが可能になるかもしれない。そこで得られた知見が新たな理論として大学へ戻り、その理論が実務のさらに新しい価値につながっていく。共同研究には、そうした理論と実務の往復を期待しています」(藤堂教授)
内田は共同研究の先を見据えます。「金融工学の分野では、これまでも物理の手法を応用して解かれてきた問題が数多くあります。シンプレクスと物理学者が協業する機会は潜在的に数多くあるはずで、今回の共同研究を呼び水に、さまざまな分野との協業につなげていきたいです。先端技術を自分たちで使いこなし、さらには作り出すところまで目指したいと思っています」(内田)
テンソルネットワーク:テンソルと呼ばれる多次元配列を、細かい部品として組み合わせることで複雑なデータを効率的に表現する手法の総称。テンソルトレインはその代表的な形式の一つで、テンソルが列車のように1次元に連結されたデータ構造
モンテカルロシミュレーション:乱数を使って大量のシナリオを発生させ、確率的に結果を見積もる計算手法。金融では商品の価格やリスクの評価に広く使われる
量子振幅推定:確率や期待値の推定を、従来の計算手法より少ない試行回数で行える量子アルゴリズム。モンテカルロシミュレーションの高速化への応用が期待される
ビジネス活用は早ければ5年。量子産業を支える日本の強みとは
では、量子コンピュータはこの先、どう社会に広がっていくのでしょうか。ハードウェアの開発競争では海外の投資規模が際立ちますが、量子産業を支える領域はそれだけではありません。「量子分野にはハードウェアのほかに、基礎理論の研究もありますし、量子コンピュータに使われる素材や部材では、特定の部品で非常に高いシェアを持つ日本企業もあります。素材、製薬、金融など、物理学や化学の応用先となる産業も多く、量子コンピューティングが広がる素地は十分にあります」(藤堂教授)
量子は、AI、半導体などと並び、2026年7月、内閣が閣議決定した日本成長戦略17分野の一つに選ばれました。そこでは量子技術に関わる企業や組織が相互に関連し合い、自然に育つ自律的なネットワーク「量子エコシステム」構築の重要性がうたわれています。基礎研究、計算機ハードウェア、周辺機器、素材、計算インフラ、ソフトウェア、システム統合、産業連携、ビジネス活用など、多岐にわたるプレーヤーが参加し、産官学が結集して新たな産業を創出してゆくことが期待されます。「SQAIは量子、AI、HPCを融合させ、基礎研究から産業実装、ビジネス活用までを繋ぐ重要なエコシステムの一部だと捉えています」(松竹)
ビジネスでの活用時期について、内田は「早ければ5年」を一つの目安に置きます。「まずは小規模に使い始めて経験を積み、ハードウェアの進歩に合わせて活用を広げていくことになるでしょう。実用性が明らかになれば急速に浸透し、使わない企業は取り残されかねません。技術の蓄積に加えて、量子をビジネスに繋ぐ判断のできる人材『量子ストラテジスト』を増やすことも重要。シンプレクスでも量子分野の人材育成を加速させていきたいです」(内田)
今後の活動について、若手メンバーである仲渡 莞爾も、ビジネスへの早期活用に意欲を見せています。「シンプレクスには、さまざまな金融機関にシステムを提供し続けてきたからこその実践的な知見が集積されています。それらを学術的な知見と掛け合わせた、産学連携の研究はとても意義あることだと感じています。実用化の可能性を探るため、問題提起・検証を進めていければと思っています」(仲渡)

最後に松竹は、ハードウェアの完成を待たずに価値を生む、量子由来のソフトウェアやアルゴリズムの重要性についてこう結びました。「量子コンピュータが実務の領域で実用化されるのはまだ先かもしれません。しかし、量子HPCのような量子と古典の組み合わせや、量子インスパイアードのソフトウェアやアルゴリズムなら、もっと近い将来に新しい価値を生み、ビジネスにつなげられる可能性があります。SQAIの取り組みに大いに期待するとともに、シンプレクスとしても貢献していきたいと思います」(松竹)
シンプレクスは、引き続きSQAIへの参画や寄付講座への協賛、東京大学との共同研究を通じて、量子技術を実務につなげる取り組みを続けていきます。
PROFILE
理学系研究科 物理学専攻
教授
クロス・フロンティアディビジョン
シニアフェロー
クロス・フロンティアディビジョン
アソシエイトプリンシパル
クロス・フロンティアディビジョン
アソシエイトプリンシパル
クロス・フロンティアディビジョン
スタッフ